Vol.0039 看護師の死生観。さよならの向こう側。  [2014/07/19更新]

愛すべきじいちゃんシリーズが終わって
ぽっかり穴が開いてしまったマツコです。

気づけば、でっかい台風が通りすぎ、
九州の南側は梅雨が明け
こちら関東にもそろそろ夏が訪れそうです。

さてそんな…

ぽっかり穴が開く

ということ。
今までにも何度か経験をしてきました。

それは大抵
大切な人とのお別れで、
その多くは突然やってきます。

先日もマツコの身近で、思いもよらなかった人が
突然この世を去りました。
マツコが子供の頃から知っているおばちゃん。

おばちゃんが亡くなるちょうど一ヶ月前にも
一緒にごはんを食べたところでした。
おばちゃんは、60歳前にも関わらず
後ろからみたら最高にイイオンナのプロポーションの持ち主で

マツコ「おばちゃん相変わらず、美脚やねえ~」
おばちゃん「それで前を見て、みんなオバサンかって顔するっちゃ」

なんて、いつもと同じオチで笑って別れたのに。
その知らせは本当に突然やってきました。
マツコの地元は、一応「市」ではありますが、
年々人口は減り、医療機関も衰退の一方。
町全体でみても常勤で循環器の医師はおらず、
脳外科医はいてもオペ後を管理できるだけの設備は整っていません。
四方を海と山に囲まれ、県内唯一の大学病院に行くには
山を幾つも越えなければならず、車だと一時間はかかります。

そんな田舎町ですが、
情報の伝達は田舎町だからこそ早く、
「おばちゃんが病院に運ばれた」という一報は、
すぐに幼稚園からの親友である母の元へ入りました。

それから間もなく、
静かな田舎町の空に一基のヘリが飛び立ちました。
ドクターヘリです。

「病気をしたら死ぬしかない」と
みんなが口々に言うような医療過疎の我が地元にも、
数年前からドクターヘリが導入されました。
飛行場もなければ、普段ヘリが飛び交うような話題性もない町だけに、
ヘリが飛ぶとつい皆、空を見上げます。

おばちゃんが病院に運ばれて、
事態がよくないことを知らされていた母は
そのヘリにおばちゃんが乗っているんだ…と確信し、
「頑張れ、頑張れ」と、空に向かい強く願ったそうです。

母の思った通り、そのヘリにおばちゃんは乗っていました。
そして、願い通りおばちゃんは頑張ってくれました。

「手の施しようがない」
という状態から、

もしかしたら、意識は戻らないけど、地元の病院に帰れるかも
という状態まで落ち着いたのです。

そんなとき、母が友人と会いに行くと言い出しました。
正直、マツコは心配でした。
仕事柄、集中治療室の患者さんの姿は
だいたい想像がつきます。

沢山の管に繋がれているだけでなく
浮腫で顔や全身が腫れていたり
髪の毛も最低限は整えてくれていても
いつものおばちゃんとは別人のような姿かも知れず
母や友人にとって逆にショックを与えてしまうのではないかと思いました。

ですから、会いに行くという母にマツコはあまり良い返事をしませんでした。
しかしきっとあのとき、会いに行かなければ、
母はずっと後悔していたでしょう。

実際、会いに行った時、マツコの心配は大いに外れ
沢山の管には繋がれていたものの
いつものおばちゃんがただ寝ているだけかのように、
そこにいたそうです。
髪の毛もふわふわで。
(看護師さんがベッド上で洗ってくれたそう)

「みんな待っちょるから、頑張りさんや。
あんた何しよるんね、そろそろ起きさん。」

ほっぺたをさすりながら、何度も声をかけたそうです。

しかし、その知らせは、またも突然やってきました。

力尽きてしまった、と。

仕事柄…と先に書きましたが、
看護師という仕事柄、亡くなる人もそれなりに見送ってきました。

しかし、自分の身近な人となると経験は数えるほどしかありません。
いつもいつも、悲しみをどう乗り越えていけばいいのか
わからなくなります。
特に自分がその方達と離れている所に住んでいるせいで
最後のお別れに行けず、
きちんと自分の中でその死を落としこむ事ができず、
同じ思いを持った人たちとその悲しみを共有することもできず、
やるせなさだけが残ります。

さよならの向こう側には何があるのだろう。

残していった者には来ない明日が、
残された者には来る。

ぽっかり空いたその存在を
その人がいない明日を、毎日を、生きて行く。

そしてだいぶん歩みを進めたあとに
さよならの向こう側も
結局、続いているのだと
気づく。

そしてマツコの場合、
その死をきちんと落とし込めていないことにより
ずっとそれを引きずり、引きずりまくったあと
何かの形でそれを自分の糧にする。

乳がんで亡くなってしまった先輩のときは
ピンクリボンアドバイザーを取得しました。
今回のおばちゃんのことはまだ、わかりません。
まだまだ、引きずりまくっている途中。

だけど、ピンクリボンアドバイザーも
さんざん引きずりまくった後
色んな出会いや経験、奇跡が重なって
その存在を知り、受験する機会に恵まれました。

こういう思いは
引きずりまくっていいんだと思います。
だけど、同時に歩み続けなくてはいけない。
さよならの向こう側まで、きちんと渡り終えるために。
渡り終えたあともなお、歩き続けるために。

後日、おばちゃんの葬儀は盛大に行われたそうです。
そこで、母は友人代表で手紙を読みました。
その大役を担ったことを聞かされた時は、
泣いて読めないんじゃないかと心配しましたが、
どうにかその役目を果たしたとのこと。

しかし、なんだかとても悲しいと同時に思いました。
大切な人に向けての言葉って普段あまり口にしません。

大切な人、身近にいる人だからこそ
その存在の大切さについて改めて考えることも
ましてや想いを綴ることもないものです。

友達なんてなおさら。
まだまだこれからも、しわくちゃのばあちゃんになるまで
笑い合って生きて行くと思っている友達に
そうそう、自分の想いを綴ることなんてありません。

なのに、本人がこの世を去った後に想いを綴り、
それをどんなに声に出して読んでも、本人に届いたかどうかもわからない。

大好きだから一緒にいること
連絡を取り合っていることを
その都度伝えて行くべきだと強く思いました。

マツコにも幼稚園からずっと縁が続いている友達がいます。
今は離れて暮らしているのと、お互いぼうっとしているので
気づいたら半年くらい連絡を取っていないこともありますが
誰にも代えられない大切な友達です。
この関係はずっと続いていくものだと思っています。
毎年、お互いの誕生日にはプレゼントを贈り合い
一応メッセージを添えるのですが、
そういえば最近は、簡単な言葉で済ましている気がします。
今年の友達の誕生日は、昔のように
ちゃんとお手紙を書いてみようと思います。

言わなくても分かっているはず…なんて
勝手な自分の思い過ごし。

大事なことは その都度
言葉にして 声に出さなきゃ伝わらない。
いつか言おう いつか伝えよう
ではなく
今 言おう 伝えよう。
相手のために。
そして
自分のために。

普段、人の死に立ち会うことが多い看護師のわたしたちも
いざ、自分の身近でそういうことが起こると
途端にドシロウトになってしまいます。

だけど同時に、
「看護師である自分」がその悲しみを吐き出すことに
ストッパーをかけてしまうことがあります。
そういう時は、看護師の名をとっぱらってドシロウトになりましょう。

誰もそんな悲しい時にプロでいる必要はないのです。

泣くべき時、悲しむべき時に
きちんと泣き、悲しみましょう。

それが結局、
さよならの向こう側への近道になるのだと
マツコは思います。

きちんと泣き、悲しんで
また明日。
少しずつ歩み進んでいきましょう。

マツコ