生まれ変わり~希望の子~[2017/05/12(看護の日)更新]

みなさま、こんにちは。

GWも終わり、
新緑がとても気持ちの良い季節になりましたね。

マツコが出産に向けて、
里帰りをすることになったのも、
こんな気持ち良い季節の、晴れた日でした。

ちょうどその頃、
おかあさんは都内の大学病院での治療をいったん終え、
地元に帰ってきていました。

しばらく家で過ごしてたものの、
食事があまり摂取できず…

家から近くの病院に、
再入院していました。

おかあさんが告げられた余命は8月くらい。
マツコの出産予定日は6月。

ぎりぎりのラインで迷いましたが…
万が一、万が一、重なった時、

周りに迷惑をかけてしまうと思い、
里帰りを選択しました。

里帰りする日。

朝、夫とおとうさんと3人で
おかあさんに会いに行きました。

いつも通り、おかあさんは何でもない顔をして
個室のベッドの上に座っていました。

色んな思いが入り混じり
「チャッと産んで、すぐ帰ってきます」
しか言えませんでした。

その時、おかあさんが
何を言ったのかは覚えていません。

ただ、広い個室のベッドの上に
きちんと座っているおかあさんだけは
今でもとても鮮明に覚えています。

そこから、ただただ静かに
毎日が過ぎて行きました。

予定日まで1週間を切ったある日、
おかあさんの容体が芳しくない、
と連絡が来ました。

呼吸状態が悪いと。

早く産みたい。
写真だけでも。
おかあさんの意識がなくなる前に。

おそらくそんな私の気持ちが先走ったせいもあり、
微弱陣痛という形で、
マツコの長いお産が始まりました。

夜中3時の入院から半日過ぎた午後、

「おかあさんの容体が更に良くない、
 今から早退して帰る」

と夫から連絡が入りました。

そこから数時間後の夜、

「大丈夫?」

という短いメールに

夫から「大丈夫」という返事。

「つらいときに側に居てあげらなくてごめん」

そうメッセージを送り、
マツコは2日目夜の、陣痛との闘いに戻りました。

まだ、間に合う。

と、ただそれだけを信じて。

翌日のお昼過ぎ、
色んな人の力を借りて、
賢太郎が産まれてきてくれました。

私は泣きました。

もちろん、感動もしたし、
産まれてきてくれてありがとう

という気持ちもありましたが、

分娩台の上で

「間に合わなかった」

と言って、泣きました。

前の日の夜に、
夫とメールを交わしてから
連絡は途絶えていました。

ずっと付き添ってくれた実家の母も
何も言いませんでした。

きっと私を気遣ってのこと。
だから、
私も何も聞きませんでした。

誰もなにも言わない、
それが全てを物語っていました。

その後、
産まれた報告を夫に電話したとき

おとうさんも義妹も
それぞれ電話を代わり

「お疲れさま!」

と、いつもと全く変わらない調子で
話してくれました。

おかあさんは、
賢太郎が産まれる半日前に、
亡くなっていたのに。

結局、私にその事実が告げられたのは
翌々日に夫が来てくれたときでした。

しかし、
不思議なことがありました。

間に合わなかった、
と泣いたものの

決定的な事実を聞いたわけでもないし、
まだ「どこかで大丈夫かも…」
という気持ちでわずかながら
希望を持っていたマツコ。

そんなマツコが出産を終えた
翌朝の明け方。

とてもとても不思議な夢を
見たのです。

おかあさんです。

ちょっと不謹慎なのですが、
おかあさんが自分で自分の遺影を選んでるんです。

そして、その場にマツコもいて、
マツコの結婚式の時に
留袖で撮った写真を選ぶだろう

と思って、

その様子をみていたら、
まさかの!

おかあさんらしからぬ派手な服を着た
若い時の写真を選んだんです。

夢の中の、さらに心の中で、
めっちゃツッコミました!

「そりゃないわっっ!!」

それを後日、夫に言うと

実は、遺影を決める時、
真っ白なワンピースを着た
若い時のおかあさんの写真が出てきて
とても良い笑顔で写っていたそうです。

写真だけで言えば、
それが一番良かったと。

「もしかして、それが良かったのかな」

と夫がポツリ。
そうかもしれません。

そしてもうひとつ、
その夢の続きのような形で

今度は、
おとうさんが出てきました。

はじめはいつも通りの
ニコニコなおとうさんでしたが、

急に顔色が悪くなり、
倒れてしまい救急搬送されるという
これまた不謹慎な夢でした。

でも、この2つの夢は
意味がある夢だと思います。

ひとつ。
おかあさんが会いにきてくれた

ふたつ。
残していくおとうさんを
おかあさんが心配してる

そうマツコは解釈しています。

最後に。
マツコが里帰りする日。

本当はおかあさん、
あの時すでに起き上がる元気もなかったそうです。

なのに、ほんとに何でもない顔をして
いつも通りのおかあさんを演じてくれていました。

後悔を口にすれば山ほどあります。
嫁としても、看護師としても
できることは山ほどありました。

だけど、最後に夢に出てきてくれた
おかあさんのメッセージに
これから応えていく形で
この後悔を乗り越えていきたいです。

振り返って上を見ればきりがない。
前を見てひとつひとつを
積み上げていくしかないと思います。

「あなたの子なら、絶対に可愛いに決まってる」

妊娠を伝えた時の
おかあさんの言葉です。

嬉しい言葉や優しい言葉を
どストレートに伝えてくれる人でした。

そんなおかあさんの子供であるマツコの義妹もまた
おかあさんが亡くなったことを告げられた後に
電話で話をした時、

「けんちゃん(賢太郎)は、うちの家の希望だよ。ありがとう。」

と言ってくれました。

おとうさんも、
おかあさんの一周忌の時、
賢太郎を片手で抱きながら

「家内が亡くなって、こんなに寂しいのか、と
思う日々でしたが、生まれ変わりのように孫も生まれ
毎日、孫たちに励まされています。」

と、みんなの前で話してくれました。

こんな風に、マツコの家族は
おかあさんだけでなく

みんながとても深い思いやりがある
素敵な言葉をくれる家族です。

マツコも恥ずかしがらず、
あったかい言葉を
どんどん伝えていけるような人になりたいです。

その言葉で、
少しでも多くの人が
より良い人生を一歩踏み出す
お手伝いができればと思います。

今、マツコは
新しいことに挑戦しています。

マツコが病院で働いていた時に
ずっと必要だと思っていた
予防医療のひとつです。

対象は一般の方。

一方的な説明ではなく、
理解して納得して行動に移していただけるように

行動変容ステージモデルに沿って
マニュアルや資料を作っている真っ只中です。

短い時間の中で、
より効果的な介入にするためには、
やはり言葉選びは大切です。

それは表面的な言葉ではだめ。

お相手の健康のことを
看護師として真剣に考えた言葉こそ
伝わるものだと思います。

今は、準備に追われながら
久しぶりの看護にドキドキしながらも
ワクワクしています。

どんな働き方をしていても、
やっぱり看護師ですもの。

看護ができることは、
本当に嬉しいです!

GW疲れでちょっぴり五月病気味の方も
新緑を見ながらリフレッシュしつつ
看護ができる喜びを忘れないで下さいね。

5月12日 看護の日、
ブログ100回目を達成したマツコより

p.s
これからも、どうぞよろしくお願いします!